なんだかわからないけど、今日は電話が多い日で、訪問者も多い日でした。(ふ~って感じ)です。(笑)
そのお一人に銀行の方がいらして、明日書類を取りに来てもいいですか?
って聞かれたから、明日は何曜日ですか?って質問したら、金曜日って言われたけれど、明日は水曜日だよね。(あはは・・・)
まだお若いからね、大分緊張していらしたようで、まだまだ大変のようです。(笑)
さて、今日はあの「宝地図」で著名な望月俊孝さんの本から「ひびわれた水瓶」のお話をご紹介します♪とってもすてきなお話です♪
ひびわれた水瓶
インドに水汲みを仕事にする男がいました。
彼は2つの水瓶を左右の肩にかついで毎日、毎日、川から丘の上のご主人様のお屋敷まで遠い道のりを運んでいました。
お屋敷に着く頃、右肩にかかっている水瓶は川で汲んできた時同様なみなみと水をたてているのですが、左肩にかかっている水瓶はひび割れが入っていて、ポタポタとこぼれ、丘の上のお屋敷に着いた頃には水が半分しか入っていないのです。
右肩にかかっている水瓶は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、水瓶として本来の目的を、完璧にはたしていたからです。
そして、左肩にかかっているひび割れた水瓶は。いつも自分を恥ずかしく思っていました。
それはそうです。いつも半分しか水を運び切ることができないからです。
2年が過ぎ、すっかり惨めになっていて自分のことをさげすんでいたひび割れた水瓶は、ある日、川のほとりで水汲み男に話しかけました。
「僕は自分が恥ずかしい。そして、あなたに申し訳ない」
「なぜだい?」水汲み男は言いました。
「この2年間、僕のこのひび割れのせいで、あなたはご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力は報われることがない。僕はそれがつらいんだ」と謝り続けました。
水汲み男は、ひび割れた水瓶を氣の毒に思い、そして言いました。
「そんなことはないよ。いいかい、これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん」
天秤棒にぶら下げられて丘を登っていく時、ひび割れた水瓶はお日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に氣付きました。
花は本当に美しく、水瓶は少し元氣になった氣がしましたが、ご主人様の家に着く頃には、また水を半分漏らしてしまった自分がはずかしく、水汲み男に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道端の花に氣づいたかい?どっちの方に花が咲いていたかい?」
「僕が通ったほうだよ」ひび割れた水瓶は答えます。
「そうだね。君が歩いてきた片側だけに花が咲いているね。もう一度、見てごらん。花がきれいに咲いているだろう。
僕は君から零れ落ちる水に氣付いて、君が通る側に花の種を蒔いたんだよ。そして君は毎日、僕達が小川から帰る時に水をまいてくれた。
花は君が育てたんだよ。
ご主人様はこの2年間、おいしい水だけでなく、新鮮なきれいに咲き誇った花をテーブルの上に飾ってもらって、とても喜んで毎日を過ごされた。
これこそ君のひび割れなしには成し得なかったことだ。
君のひび割れがあったればこそ、ご主人様は花を喜び、おいしい水を飲むことができたのだ」
ひび割れた水瓶は咲いている花の列を見た時に、花の美しさに生まれて初めて目が覚め、世の中にこんな美しいものがあるのか、そしてそれに自分が少しでも貢献することができているという喜びでいっぱいになりました。
そして、「ひび割れがあるから自分なんてだめなんだ」と思いつめていた自分に氣づき、ひび割れていたからこそ見事な花を咲かせることができる自分を、大変いとおしく感じたのです。
この物語は、次の言葉で結ばれています。
「私たちはそれぞれ自分だけのひび割れを持っています。私たちは皆、ひび割れた水瓶です。神の摂理のもとに、必要でないものはなにもないのです」
この物語は、アメリカで口コミで広がっている物語を翻訳紹介されたものをアレンジしたものです。原作者不詳となっています。
私たち人間は皆、ひび割れを持った水瓶なのですね。
どんなに順調な人生を歩んでいるように見える人でも、完璧ということはなく、何かしら課題やハンディキャップを抱えているのです。
でもそのひび割れが問題ではありません。
ひび割れに自信喪失するのではなく、そのひび割れをどう活かすか?
ひび割れを通じて何を学ぶか?
自分自身を許し、認めるか?
そして周りの人のひび割れを許し、活かすことの重要性をこの話は教えてくれます。
その時、ひび割れは実はギフトであり、恵であることに多々氣づくでしょう。(^。^)/~
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